生田プロフィール

1968年大阪生まれ埼玉育ち、蟹座、AB型

国家資格

情報処理技術者

好きな食べ物

巨峰、ヒレやランプなど脂の少ない肉、中トロまでのマグロ

嫌いな食べ物

ナマのネギと玉ねぎ
不思議なことに九条ねぎなら生でも食べられます

趣味

音楽鑑賞(今は行けないフェスやライブなど)や旅行
読書も(分野問わず最近少なめで年間100冊ぐらい)
毎日こだわりの豆を挽き一杯のコーヒーをハンドドリップで入れること

好きなアーティスト

Mr.Children、アイナ・ジ・エンド、サカナクション、backnumber

得意なこと

ネット集客とパソコン修理

経歴

東京工業専門学校(情報処理SE科)を卒業後、システムエンジニアとして準大手証券会社に入社。
ロンドンやスイスにある海外現地法人の約定や受渡システム開発に従事。
汎用コンピュータであるIBM9370でPL/1という言語でオンラインやバッチシステムを開発。
海外システムだったのでマニュアルはすべて英語。鍛えられました。
部署内は全員男性で、女性は私ひとりだけ。
女性は「笑って座っていればいいよ」の時代でしたので、同期が海外出張に行っても私だけ行かせてもらえませんでした。
思い出は、日本IBMの本社の社食を何回か食べたことと、「自分の頭で考えろ」と怒られ悔しくてトイレで泣いたこと。
当時このシステムに携わっていた外注さんに転職する気があるならうちに来ないかと誘いを受け、3年で証券会社を退社。

結果、誘われた大手印刷会社のシステム会社にシステムエンジニアとして転職。
ここでは女性が格好良く働いていたし、外資の入った会社だったので役職では呼ばず、社長でさえ「さん」づけで呼ぶなど社風がとても良かったので働きやすかったです。
ここでは、主にオフィスコンピュータという中型コンピュータを使い、ここでもIBMのAS400でRPGという言語でオンラインシステムやバッチシステム、返品POSシステムなどに従事しました。
クライアントが大手化粧品メーカーだったため、国内、海外と出張も多く、販売・物流などスキルは磨いたものの、後半うまく行っていなかった売掛システムのプロジェクトにリーダーとして派遣され、そこでの36時間労働や、月に4回締日のたびに徹夜をこの先続けるのは無理だと思い5年で退職。
この時の一番の思い出は、徹夜明けの終電新幹線に乗れず、ホテルに泊まるのはもう嫌で、どうしても帰宅したかった夜、クライアントからもらったタクシー券でタクシーに乗ったのはいいけど、首都高でタクシーの窓をあけて吐きながら帰ったこと。(お食事中だったらごめんなさい。)
きっと具合が悪かったから帰りたかったんだとその時気づきました。

その後1年間は、次の若手を育てるため昼間は専門学校の臨時講師として教職につき、夜は自動車教習所の教官として勤務。
学校が春休み、夏休み、冬休みの期間は、フリーのシステムエンジニアとして退職したシステム会社に勤務していました。
この時の思い出は、サラリーマン時代(起業前)の最大月収を得たことです。

若手を育てることに専念しようと専門学校の専任講師となり、国家資格である情報処理技術者試験を受験するための学科(情報システム学科)の担任および国家試験対策の全科目を担当。
当時、全国の合格率が平均15%ぐらいだった国家資格でした。
成績の良い選抜クラスと成績下位のクラス2クラスありましたが、下位クラスを担当し選抜クラスと同等の67%を合格させる実績を作りました。
また、担任するクラスの就職率は毎回100%を維持。
広報活動にも尽力しました。
専門学校で9年働いた後、マンツーマンのビジネスパソコンスクールを立ち上げるため2006年1月起業(有限会社Goodness Company)。
名もなきものが起業しても誰も来ないだろうと思い、マイクロソフト認定インストラクターの資格を取得し、マイクロソフト認定スクールとして「グッドネスアイティスクール」を埼玉県富士見市に開業。
営業店を運営しながら、システム開発を受託するつもりでしたが、近隣の店舗にはウケが悪く、ホームページなら作って欲しいという声が多い状況でした。
最初はできないと断っていたのですが、ひょんな縁があってスクールでホームページ制作を教える教材を採用することになり、自分も学ぶことに。(教材費は生徒さんからもらえばいいし、自分たちも学べば一石二鳥でさらに利益が出るかもしれないと調子に乗りました)

余談ですが、システムエンジニアが何でもできると思ったら大間違いで、どんなに難しいプログラムを作ることができたとしても、パソコンが苦手だったり、ホームページを作れなかったりするんです(笑)

起業してスクール業の傍ら、2年目には、学習塾や理容室などのホームページを制作していました。
その当時、口コミサイトの制作依頼を受け、全国版口コミサイトを全スタッフ(当時スタッフ7名)動員、徹夜してリリース。交代でゴザの上で仮眠したのが思い出です。

何も知らずに大殺界で起業していたため、2009年に社名とか変えたほうがいいとアドバイスをいただき、「グッドネスカンパニー株式会社」に社名変更、スクール事業、システム開発事業に加え、ウェブ制作事業、コンサル事業、セミナー事業など事業内容に加えました。

2014年に思い切ってスクール事業を廃止。ウェブ制作事業に集中するため営業店を閉め、本店所在地を富士見市から東京都目黒区に移転。
事務所のスリム化、在宅スタッフを増やしたのはこの時期で、今思えば、この時期から業態を切り替えておいて本当に良かったと思っています。

6年後のコロナ禍でも東京にまだいたかったのですが、弊社経営陣の両親高齢化に伴い仕方なく本店所在地を埼玉県戸田市に移転。カンパニーを外し「グッドネス株式会社」に社名を変更しました。

今年、2023年ちょうど起業して17年。18年目を迎えている現在です。

もし生まれ変わることができたなら、海外ドラマ「24」のCTU(テロ対策ユニット)のような場所で(架空の場所ですけど)上級分析管として働いてみたいです(笑)

実際に日本では2015年に、国際テロ情報収集ユニットが発足しているようです。
外務省総合外交政策局に設置された情報機関です。
もっと若ければ、こういう場所への就職も考えられたかもしれません。

最後はちょっと話ズレましたが(汗)
最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)